わたしたちも赦します

アイキャッチ用 小坂神父の今週の糧

社会状況の変化に伴い、地域社会の伝統行事とか節気の行事がだんだんと廃れてきていることは否めません。そういう催しに接すると「あゝ、もうそんな時期になったのか」と感じます。先日、地下鉄四ッ谷駅の前に大きな七夕の笹が立てられ、傍らにおいている机で通りがかりの人が短冊に願い事をしたためていました。

ところで、教会入り口にも日曜学校の子供たちの作成した七夕の笹飾りが置かれています。子供たちのかわいい願い事がたくさん書き込まれていますが、その中でわたしの目を引いたのは「人をゆるせますように」、「いやなことをされてもゆるせるように、広い心がもてますように」、「悪い心をなくしてください。また人をゆるせる心をお与えください」というような「赦す心」に関する短冊が多数見られました。「主の祈り」のなかでこの祈りこそ中心であり、一番難しいことではないかと思います。その点を子供たちに常日頃から教えてくださっている日曜学校のリーダーやお母さん方の姿勢の表れだろうと心より感謝いたしました。

「わたしたちの罪をお赦しください。わたしたちも赦します。」という祈りは、頭で理解し、心にしみ込ませるべきことではありますが、現実のわたしたちはその難しさをしみじみ感じ取っています。これに関する話を最近読みました。

解放後の祖国ベトナムから自由を求めて脱出するボートピープルの船長をつとめた方は、自分と共に73名の命を預かりながら出国しましたが、そのうしろには暗躍したブローカーにだまされた多くの人々が残されました。多くの苦難を越えて、難民として日本で働くようになってから、ご自分で稼いだわずかの中から、その人たちに少しずつ返済していかれたそうです。完済したあとで、日本に移って来ていた元ブローカーを食事に招いたそうです。誰でも「まさか!」と思うでしょう。だまされた人がだました人を食事に招いたのです。その方の言葉は身に染みます。「振り返ってみて、もうここまできたし、生活もずいぶん変化した。でも、その中で、自分と彼との間の憎しみはあのときのまま変わっていなかった。何のために憎しみを抱き続けるのかって考えるようになったんだ。」(ファン・ディン・ソン他著「涙の理由(わけ)」251ページ 女子パウロ会刊)

「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。」(マタイ18,22)というキリストの教えは、単に回数ばかりでなく、その質を言っており、わたしたちの心に平和をもたらすためなのだとしみじみわかります。

主任司祭 小坂正一郎

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