堅信式のご報告(動画あり)

アイキャッチ用 2022年3月13日堅信式

2022年3月13日11時のミサにおいて、梅村昌弘司教様をお迎えして、堅信式が行われました。コロナ禍により延期されていましたので、2018年以来の堅信式となりました。

今回44名の方々が堅信の秘跡を受けられました。おめでとうございました! これからも聖霊の導きにより、主の道を共に歩み続けることができますように!

《写真》

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《司教様のお説教》

(約19分30秒)

00:00:00 オープニング
00:00:19 入祭
00:01:55 ミサ説教
00:16:44 堅信の秘跡
00:17:02 受堅者より お礼の言葉
00:17:51 閉祭
00:18:05 使徒的祝福

《お説教書き起こし》

四旬節第2主日を迎え、例年のようにご変容の場面が朗読されました。カトリック新聞に、毎号主日の福音を受けての説教が掲載されていますけれども、今日のこの部分について私自身が関心を持ったのは、『イエスがエルサレムで遂げようとしておられる最期について話していた』(ルカ9・31)、この「最期」という言葉。これはギリシア語で「エクソダス」と言われているそうです。皆さんエクソダスというと、出エジプト記もまさしく「エクソダス」です。「過越し」ということです。『エルサレムで遂げようとしておられる最期について話していた』、この「最期」は「エクソダス」、「過越し」ということだということなのです。

ご変容において、イエス様は栄光の姿を現されました。あらかじめ復活なさったそのお姿を現されたということですけれども、このご変容に先立って、イエス様はご自身の受難について弟子たちに初めて語られたと、ルカ福音書には記されています。受難、十字架上の死を通しての復活だと、これらの出来事を「過越しの神秘」と私たちは呼んでいます。決して切り離すことができません。

聖地イスラエルに参りますと、イエス様の救いの出来事を記念する様々な聖堂が建てられています。もちろん今日のご変容の出来事を記念する聖堂もタボル山の山上に建てられています、ご変容の教会として。マリア様がお告げを受けた受胎告知の教会もありますし、そして、主の誕生の教会もあります。その一つひとつを巡っていたら、いくら時間があっても足りないように思います。私もローマにいる時に一度だけですけれども、聖地に足を運んだことがあります。

皆さんも是非機会があったら必ず立ち寄っていただきたいのが、「聖墳墓教会」という教会です。聖墳墓、その名前のとおり、イエス様のお墓の上に建てられた教会です。大きな大きなドームで囲まれた教会ですけれども、巡礼者は入口を入ると右側に折れて、階段を上っていきます。お聖堂の中に起伏があるということすら面白いなと関心を惹きます。巡礼者が階段を上っていくと、大きな十字架があって祭壇がしつらえてあり、その祭壇の下に皆さん手をやりながらお祈りをしています。中には、本当に信仰の深い方々は、登ってから跪きながらそこまで行かれる方もいました。その祭壇の下にある大きな穴は、イエス様の十字架の立てられた跡なのだそうです。
そして上った階段とは別途また反対側に降りる階段があります。その階段を降りていくと、今度は祠のようなものがあります。狭い狭い祠に皆、順番に入っていくのです。そこがまさしくイエス様が葬られた場所なのだそうです。とても不思議な、神秘的な教会です。

聖地に行って、イエス様の十字架の立っていた場所、葬られた場所……。では復活の教会ってあるだろうかと思うと、どこを探してもありません。皆さん聖書をよく開いて何度も読んでいらっしゃることだから言わずもがなですけれど、イエス様の復活なさった場所、それはまさしくイエス様が葬られた場所です。ですから、この祠のようなイエス様の葬られた場所、墓所、それがまさしく復活なさった場所でもあるということなのです。
そうすると受難、十字架上の死、そして復活、これは一つの出来事ですよ、そのことを記念する聖堂がまさしく聖墳墓教会。一つの救いの出来事ですよ、決して切り離すことはできませんよ。そのことを目に見える形で私たちに表しているのが、聖墳墓教会なのです。私も何気なく分かってはいましたけれども、行ってみて初めて、そこまで考えを巡らすことができました。過越しの神秘を記念する教会だということなのです。

ヨハネ福音書はそれを「栄光」という言葉で表しています。栄光というと、復活なさったイエス様の栄光と、復活とすぐ結びつけますけれども、ヨハネは決して復活だけをもって栄光とは言っていないのです。いよいよイエス様が受難の道を歩み始める時、『「人の子が栄光を受ける時が来た」、と言って受難の道を歩き始められた』、とヨハネ福音書に書いてあります。受難の道を歩き始めるその時に、イエス様ご自身が「人の子が栄光を受ける時が来た」とおっしゃった。ですから栄光というのは、まさしく過越しの神秘を表す言葉だということです。

私たちはできれば楽して得したいですから、イエス様の復活の栄光だけに与らせていただけば本当にありがたいことです。その受難や死まで与るというのは、できたら、避けられるならば避けたいものですけれども、でも決してそうではないんです。ですから、パウロのローマ人に宛てた手紙の中でそのことが言われています。あの有名な部分です。「キリスト・イエスに結ばれるために洗礼を受けた私たちが皆、またその死に与るために洗礼を受けたことを。私たちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死に与るものとなりました。」(6・3~4)と言われています。私たちは洗礼をもってキリストの死に与るものになった、それゆえ復活の栄光にも与らせていただくことができるのだ、ということですね。
ですから、私たちは過越しの神秘に与ったものだということを、決して忘れてはならないかな思います。イエス様のように、やはり私たちは受難の道を通って、そしてその死に与り、最後に復活の栄光に与らせていただくことができるということです。私たちがそのような形で信仰をまっとうすることができれば、と思います。

第2バチカン公会議では、教会をして「神の民」と言いましたけれども、合わせて、「旅する神の民」と言ったんです。古い契約に基づく古い神の民であるイスラエルの人びとは、モーセに率いられて、40年間、荒れ野をさまよった。様々な試みに遭いました。でもそのことを通して彼らは信仰を少しずつ深め、自らのものとしていったということです。イエス様が40日の荒れ野での試み、その悪魔のいざないを退けるたびに聖書の言葉をもって述べられたことが書かれています。申命記に記されているあの言葉はすべて、イスラエルの人びとが40年間シナイの荒れ野をさまよった時、試練に遭った時に与えられた神様の言葉でした。それをもってイエス様ご自身も悪のいざないに対して挑戦したということであります。

私たちもやはり旅する神の民の教会に属する者として、この信仰の旅を続けていくことができれば、ということです。受難、十字架上の死を通して復活へという道を私たちも歩んでいくように努めていくことができればと思うんですけれども、それはまさしく死から命への道なのです。

このことを一番端的に表している祈りがあります。それは、フランシスコの平和を求める祈り。様々な形で今日まで伝えられていますけれども――
「私をあなたの平和の道具としてお使い下さい。
憎しみのあるところに愛を、いさかいのあるところにゆるしを、分裂のあるところに一致を、疑惑のあるところに信仰を、誤っているところに真理を、絶望のあるところに希望を、闇に光を、悲しみのあるところに喜びをもたらすものとして下さい。」
と、言われています。

憎しみ、いさかい、分裂、疑う心、誤り、絶望、闇、悲しみ、これすべて死を象徴するものです。それに対して、愛、ゆるし、一致、信じる心、真理、希望、光、喜び、これは命を象徴する言葉であります。このフランシスコが平和を求める祈りとして表したこの祈り、これがまさしく過越しの神秘を表すものだということができるかと思います。
死から命への道がこの祈りの中で示されている、私たちもその道を歩んでいくことができますように。イエス様ご自身が洗礼を受けて、聖霊に導かれて、その受難の道を歩み始められたように、私たち自身もその聖霊を受け、その聖霊の賜物をもって力づけられながら信仰の道を歩んでいくことができればと思います。

今日の堅信式をもって聖霊をいただき、その聖霊の豊かな恵みに与ることができますようにと思います。


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