悲しみの聖母(イル・サッソフェッラート[ジョヴァンニ・バッティスタ・サルヴィ]画)

9月の教皇の祈りの意向は、「死刑廃止」です。9月に入る前の8月31日の「教皇による祈りの世界ネットワーク」が配信したビデオメッセージで「死刑は人間の尊厳を侵害するものである」というカトリック教会の立場をあらためて強調されました。

そして教皇は死刑制度の廃止を訴えると共に“死刑は復讐を助長している”と訴えます。家族が殺された人は、同じ死をもって報いるべきだという思いに駆られるでしょう。そして「犯人が死刑にならなければ私の心に平穏はない」という人もいます。しかし本当にそうでしょうか。

昔、大学の図書室にあったビデオライブラリーで「死刑制度について」のドキュメンタリーを視聴したことがあります。その中で娘を殺害した犯人が死刑になることをずっと待ち続けて、それに立ち会った遺族たちを追った内容でしたが、刑が執行され、建物から出てくる遺族の姿は、今でも私の脳裏に焼き付いています。それは、決して喜びや安堵ではなく、暗い顔をして後悔の念を感じたかのような姿でした。つまり憎い犯人が死んでも平穏にはなれないということです。むしろ命が断たれるのを目の前で見て、複雑な思いを残すのではないでしょうか。

また実話を元にした「デッドマン・ウォーキング」とう映画がありますが、死刑を停止させるためにヘレンというシスターが奔走します。最後まで死刑を回避させようと知事に懇願書を書いて待ち続けますが却下され、マシューに死刑を受け入れる勇気が与えられることをヘレンは神に祈ります。しかし刑の直前にマシューは、本当は自分がやったことを認め、刑場へと向かって行くといった話です。

この映画は最後まで死刑廃止の立場で描かれています。赦しというものが強調され、教皇が言われたように、「最後の瞬間まで、人は回心し、変わることができることを忘れてはなりません」という言葉がそのまま描かれているかのようです。

私たちはキリスト信者として、この死刑制度というものを考えながら、”命の尊厳”とは何かということを合わせて考えてみるように致しましょう。

主任司祭 西本 裕二


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